こんにちは、靖国神社以外のレポに適した観光場所を探しているロンハンです


昨今の政治状況は、差別に関しても多くの事実を私たちに突きつけています

BLMによってアメリカに根強く残る人種差別を我々は目の当たりにすることになりました

日本では在日コリアン排斥を訴えてきた桜井誠が都知事選で18万票を獲得しました


そんな中で、大日本帝国(以下日帝)の行った「人種差別撤廃提案」を引き合いに出し、

「日本は昔から人種差別に反対してきた」
「左翼ザマァ」


といったことを言う人がいます

ではこの人種差別撤廃提案、実態はどのようなものなのでしょうか

今回はこれについて考えようと思います


【ネトウヨの主張】

日本は国際連盟の委員会で、世界で初めて人種差別撤廃の提案した


【ロンハンの反論】

たしかに、日本がそのような提案をしたことは事実です

しかしこの提案の背景を意図的に隠し、「日本すごい」に都合の良い情報だけを発信している輩がいるようです

まず、この提案は第一次世界大戦後に、戦争の処理を取り決めるパリ講和会議の一部でなされたものです

なぜこのような提案がなされたのでしょう

それは、当時アメリカなどで行われていた日系排斥運動が理由です

当時列強では唯一の有色人種であった日本は、肌の色を理由に不利な扱いをうけることを恐れ、このような提案をしたと言われています

すなわち、この提案の動機は極めて利己的なものです

したがってこの撤廃提案は、あくまで人権運動の先駆としての評価にとどまるべきであり、日帝賛美につなげるべきものではありません
結果的に良いものを提案した、というだけです

動機が不純であった以上、この話を持ち出してきて

「大日本帝国はこんなにも人権に配慮したことをしてるんだ。」

「左翼ザマァ」


このように言うのはおかしな話だと言わざるを得ません
表面上は差別に反対していますが、その実態は利己心に基づくものだったからです

加えて言うと、当時の日本における、中国人や朝鮮人への差別は凄まじいものでした


例えば、この提案とほぼ同時期に日本の植民地支配に抵抗する三・一独立運動が起こりましたが、日本は多くの死者を伴いながらこれを鎮圧しました

また、この三・一独立運動の中で起こった提岩里事件では、暴動を鎮圧するよう指示された中尉が勝手に匪賊の討伐だと解して、指導者らを教会に集め焼き払いました

これは軍令に違反する行為ですから、この中尉は軍法会議にかけられましたが、無罪となりました

さらに民間レベルで言えば、1923年の関東大震災後にはデマによって多くの朝鮮人や朝鮮人と誤認された人たちが虐殺されました


当時の日本は人種差別解消に積極的だったわけではなく、むしろ内部で多くの差別構造・問題を抱えていたのです

繰り返すようですが、日帝は差別に反対した人権派国家ではありません


もちろん

「動機じゃなくて結果を重視しろよ」

と言う人もいるかもしれません

しかしこの提案は受け入れられず、なんの成果ももたらしていません

結果も残していないので、この提案を先駆としての評価以上の評価を下す理由はありません


【まとめ】

・この提案は日本の利己心によるもの
・成果を残していない
・日帝の差別構造は強かった



【ロンハンの所感】

「動機はともかく、やったことを評価しろよ」
と言う人もいるかもしれません(ここまでくるとかなり厳しいですが)

では、この人種差別撤廃提案を引き合いに出して日帝を好意的に捉えることを望む人々は、普段から人種差別を含む何らかの差別に反対しているのでしょうか?

私の体感でしかありませんが、この話をわざわざ引き合いに出す人はむしろ差別的な言動を繰り返していたり、そういった発言に賛同している人が多いと思います

差別に反対しようという立場を貫かないのであれば、この提案を日帝の功績として使わないでいただきたい、というのが私の個人的な意見です

また、「人種差別撤廃提案」と検索すると「人種差別撤廃提案 海外の反応」とサジェストされるのが情けなくなります